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大阪高等裁判所 平成元年(う)474号 判決 1990年6月05日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一〇年に処する。

原審における未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入する。押収してある出刃包丁一丁(当裁判所押第一四八号の1)を没収する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人宮崎定邦、同筧宗憲連名作成の控訴趣意書記載(但し、量刑不当の主張に関連して記載してある過剰防衛ないし誤想過剰防衛の主張は正当防衛の控訴趣意の一環として述べるものであると釈明)のとおりであるから、これを引用する。

第一  控訴趣意中、事実誤認の主張について

論旨は、要するに、被告人のAに対する殺意は同人を自動車ではね飛ばす時点で初めて生じたものであり、また、被告人にはBに対する殺意が終始存在しなかったにもかかわらず、原判決が被告人のAに対する殺意の形成時期を原判示の喫茶店「とけいや」から店外の自動車に出刃包丁を取りに行こうとする時点である旨認定し、また、Bが同喫茶店で植木鉢等を持ち上げて被告人に向かって振り降ろした時点で被告人が同人を殺害することを決意した旨認定したのは事実を誤認したものであって、これらが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果をもあわせて検討するに、原判決が掲げる証拠を総合すると、原判示事実は所論の点を含めて優に認定することができ、原判決が弁護人の主張に対する判断の欄で詳細に説示しているところはおおむね正当である。

すなわち、右証拠によると、被告人は、原判決認定の経緯を辿った後、喫茶店「とけいや」において、Aから、同人の妻の弟Cを被告人が解雇したことに言いがかりをつけて、「やくざを甘く見るな。お前を殺しても十年や。わしが手をかけんでも連れが殺せるんや」とか「五代組はわしがつぶす。お前は左官をやめてタクシーに乗れ」などと長時間にわたり執拗に脅迫され、その間、無理難題でも同人の要求に従わざるを得ないと考え、右Cを再雇用することを申し出たり、数日間しか働いていないCに他の職人と同じだけの給料を一か月分支払うことを承諾したり、更には、これまで大分の金を注ぎ込んでようやく軌道に乗ろうとしていた五代組がつぶされるのだけは避けようと考え、半殺しの目に会うことを覚悟のうえ、「殴って気が済むんやったら殴るだけ殴ってくれ」と言って頭を下げるなど、Aを怒らせまいと隠忍自重を重ねて対応していたが、同人が「ここでお前をどついたら警察が来るからな。お前をやるには山に連れて行ってすぐには殺さんとリンチして殺すからな」とまで恫喝するに及ぶや、席を立ち店外に出て、自己の自動車内に隠していた出刃包丁を取り出し、直ちに店内に引き返したうえ、右手に右包丁を構えてAのもとに駆け寄り、これに驚いて同人がソファーから立ち上がり、付近のテーブルを押し倒し椅子を振り上げて防戦しようとしたのに対し、右包丁を逸早く逆手に持ち換えて同人の頸部等を数回突き刺していること、次いで、被告人は、異変に気付き店内に入って来たAの配下であるBが被告人を制止するため、付近の植木鉢等を持ち上げて被告人に向かい振り降ろしてくるや、前かがみに姿勢を崩した同人の左背部を逆手に持った右包丁で一回突き刺し、その後同人ともみ合いになったが、同人が右包丁をつかんで離さないため、そのまま同店から逃れたが、Aが店外に出て来たので、前記自動車に乗り込み、歩道端に座り込んでしまった同人を同車ではね飛ばし、更に、右包丁を持って店外に出て来たBから包丁を奪い取ったうえ、同人の頸部、胸部等を数回突き刺していることが認められる。

右認定の事実によると、被告は店外の自動車から包丁を取り出すや直ちに店内に立ち戻り、Aにかけ寄って突き刺しているものであって、同人が予てより被告人に対して取ってきた言動など原判決認定の犯行に至る経緯を考えあわせると、被告人は、Aから山へ連れて行ってリンチをして殺すと恫喝された時点において、憤激と恐怖の余り、それまで同人の理不尽な脅迫行為に耐えに耐えてきた心理状態が一挙に崩れ、逆上のあまり、とっさに同人を殺害しようと決意し、自動車に隠してある包丁を持ち出すため店外に出たものであることを推認するに十分である。そのように被告人の逆上が極度に達していたこと、その際の殺意が確たるものであったことは、被告人が店内に戻って包丁を構えながらAに近づく際、同人が「おいX、お前なにするんか。おれをなめたらあかん。こんなもんでおれがびびると思とんのか」と言ったのに対し、「そんなことわしが知るか。今日死んでもええんや」とやり返し、覚悟のうえでの行動であることを示唆する言辞を吐いている事実のほか、当時「とけいや」でアルバイトをしていたDが、原審で、被告人は床を蹴るようにして走って店を出て行き、店内に戻って来る時も手前に引かないと開かない入口の戸を間違って押して入ろうとし、しかも、その際の音はかなり凄いものであった旨証言しているところからも容易にうかがうことができる。また、Bに対する殺意についても、本件凶器の種類、形状、同人の創傷の部位、程度など原判決の指摘する殺意を推認するに足りる事情のほか、右確認の事実から明らかなとおり、被告人が植木鉢等を振り降ろし立ち向かってきたBに対しすかさず反撃し、店外でも、Aを自動車ではね飛ばすという残忍な方法を取った直後、Bから包丁を奪い取ってその身体の枢要部に執拗な攻撃を加えていることに照らし、当時被告人が同人に対しても極度の興奮状態にあったことは疑いがないと認められることなど諸般の事情を総合すると、被告人はBが店内で植木鉢等を振り降ろし立ち向かってきた時点で同人をも殺害することを決意したと認めるのが相当である。以上に反する被告人の捜査段階及び原審、当審における被告人の供述は信用することができない。

所論は、当時被告人はAから単なる脅迫行為を受けていただけではなく、同人の逮捕、監禁行為によってその場から逃れられない状態におかれており、被告人としては包丁を取りに行った時リンチから逃れるためにはとにかく同人らが自己を追跡、逮捕できない状態にしなければならないと考えたに過ぎず、被告人が憤激と恐怖のあまり逆上した事実はないと主張し、被告人も捜査段階及び原審、当審を通じて所論に沿うかのごとき供述をしている。すなわち、被告人は、その場から家に逃げ帰っても、Aから再び連れ戻されてチンリのうえ殺されると思ったので、同人が追いかけて来れないように怪我をさせて逃げようと考え包丁を取りに行ったというのである。確かに、原判決認定の経緯などから判断すると、その場から家に逃げ帰ってもAに再び連れ戻されると被告人が思ったとしても、無理からぬものがあると理解することはできるが、同人が暴力団組員でその性向を十分に知り尽している被告人としては、Aに包丁をもって立ち向かうこと自体冷静な判断のもとではなみなみならぬ覚悟がいることであるばかりか、それまで同人を怒らせまいと隠忍自重を続けていた被告人の意識と行動にもまったくそぐわないことであり、仮にAのリンチを恐れて同人を包丁で怪我させるだけで逃げたとしても、その場限りの一時的な解決策に過ぎないことは明らかであり、むしろその後の報復の方がより重大なものになるであろうことは事柄の性質上当然であるのに、被告人が原審で述べるところによると、当時被告人はそのようなことは一切念頭になかったというのであって、そのことはとりもなおさず被告人が山へ連れて行ってリンチをして殺すというAの言辞に一挙に逆上し殺意を抱いた証左にほかならないというべきである。そうとすれば、被告人の単にAに怪我を負わせる程度の意図しか有していなかった旨の供述は信用することができないといわざるを得ず、右供述に依拠していると思われる所論もまた採用することはできない。

そのほか、凶器の性状や創傷の程度など所論がるる云々する諸点を逐一関係証拠と照合、検討してみても、以上の判断を覆すに足りず、原判決の認定は正当であって、所論のような事実の誤認はない。論旨は理由がない。

第二  控訴趣意中、事実誤認と法令の適用の誤りの主張について

論旨は、要するに、被告人の本件各行為はA及びBの急迫不正の侵害に対し自己の生命身体を守るためにした正当防衛にあたり、少なくとも過剰防衛ないしは誤想過剰防衛にあたるにもかかわらず、原判決が本件当時被告人の生命、身体に対しA及びBの侵害が間近に押し迫っていたとはいえず、Aの行為は防衛的なものであり、Bの行為はとっさの反撃行為であって、いずれも不正の侵害ではなく、被告人の本件各行為は防衛の意思に基づかない積極的な加害行為であるとし、そのいずれをも認めなかったのは事実を誤認し、かつ、法令の適用を誤ったものであって、これらが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果をもあわせて検討するに、所論のうち正当防衛の点についてはすでに原判決が弁護人の主張に対する判断の欄で詳細に説示しているところであって、原判決が掲げる証拠を総合すると、その判断はおおむね正当であると考えられる。

所論は、まず、当時被告人はAの脅迫により監禁状態におかれており、山へ連れて行かれリンチのうえ殺害される恐れを感じたし、その侵害は急迫であったと主張する。確かに、当時被告人が同人の脅迫により心理的に極度に追い詰められた状況にあったことは否定できないが、当時店には店員のほかに数名の客がおり、Aの脅迫の内容からしても、また、同人が凶器を示すなどの行為に出ているわけではないことなどに照らしても、同人がその場で被告人に対し殺害行為に及ぶと考えられる状況にはなく、しかも、被告人がAの殺害を決意し席を立って包丁を取りに出る際、同人は被告人を追うこともなく「どこへ行くんや」といぶかっていたに過ぎず、これに対し被告人は「ちょっと待っていて」と言い置き、床を蹴るようにしていわば脱兎の勢いのごとく店を出て行っていることに加え、被告人が店を出て戻ってくるまでの間、Aはソファーに腕を組んで落ち着いてじっと座っていただけであることなどの状況からみても、被告人が店内に監禁された状態にあったとはいえないのはもちろん、被告人の生命身体に対する侵害の急迫性が存在したとも認められず、所論は理由がない。

所論は、また、Aが店内で被告人に対し椅子を振り上げるなどした行為は決して防衛的なものではなかったと主張するが、被告人が包丁を構えて迫ってきたればこそ、Aがこれに恐れをなし自己の身の安全を守るため椅子を振り上げるなどの行為に出たものであることは、被告人が店に戻って来るまでAがソファーに座っていた前記の状況などからしても疑いを入れる余地はなく、同人の右行為をもって不正の侵害と評価することには賛同できず、所論は失当である。

所論は、次いで、Bが店内で植木鉢等を振り上げ被告人に立ち向かってきた行為は反撃行為とは認められないと主張する。しかしながら、Bが店内に入って来た時はAが血まみれになって包丁を手にしている被告人と正にもみ合っている最中であったところ、その場を目撃していた原審証人Eの証言によると、店に入って来たBは両手を広げて被告人を止めようとしていたというのであり、また、同じく原審証人Fの証言によると、店に入って来たBは慌てた様子でAを助けようとしてワゴンを振り上げたというのであって、Bにとって自分の親分が被告人に刺されているという状態はまったく予想外の出来事であったことに疑いなく、右各証言からも明らかなとおり、同人が被告人を制止しAを助けようとするのは事の成行上当然であること、被告人が包丁を持っているのに対しBは素手であり、しかも、被告人に左背部を突き刺された後もみ合いになったが、同人は両手に多数の刺切創を負いながらも両手で包丁を握って必死でこれを離すまいとしていることなどその場の一連の流れに照らすと、Bが植木鉢等を振り上げ被告人に立ち向かってきた行為は被告人に犯行を止めさせAの生命身体を守るために取られた反撃行為とみるべきであって、これをもって不正の侵害というのは相当でなく、所論は採用することができない。

所論は、更に、被告人の店外におけるAらに対する各行為もまた防衛行為の範疇に入ると主張するが、被告人がAを自動車ではね飛ばす時点で同人は歩道端に座り込んで無抵抗の状態にあったこと、Bにしても、店外に出て来て「殺してやる」と叫んだとはいえ、その場に立ち包丁を右手にだらりと下げていた状態であり、被告人に追いすがるなどの積極的な加害行為に出てきたわけではなく、逆に被告人の方がBに駆け寄って以後の刺突行為に及んでいることが明らかであるから、侵害の急迫性を認めることはできず、被告人の右各行為を防衛行為と評価することはできないので、所論は失当である。

以上のように、被告人の本件各行為はいずれも積極的な加害意思に基づいてなされたものといわざるをえないから、正当防衛となることはなく、したがってまた、所論が主張する過剰防衛ないしは誤想過剰防衛を論ずべき余地もなく、原判決は正当であって、所論のような事実の誤認と法令の適用の誤りはない。

論旨は理由がない。

第三  控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は、被告人に対する原判決の刑は不当に重いというので、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果をもあわせて検討するに、本件は、被告人において暴力団組員とその配下の者を出刃包丁で突き刺し、その場で間もなく両名とも失血死させたという事案であって、その経緯はどうであれ、永久に蘇ることのない二人の貴重な生命を一挙にして奪ってしまったという結果の点で、なににもまして重大でとうてい許し難い犯行であるというほかなく、その犯行の態様をみても、出刃包丁で二人の身体の枢要部をめがけていわばめった突きにしているばかりか、被害者Aに対してはとどめをさすべく自動車ではね飛ばすなど残忍かつ執拗極まりないものであって、被害者らの無念さはもとより、その遺族らの悲しみも察するにあまりあるところであって、被害者らの遺族に対しては両名分の香典料として五〇万円の提供がなされているのみであることなど諸事情を考えると、被告人の刑責は誠に重大であるというほかはなく、原判決が被告人に対し懲役一三年の刑を科したのも必ずしも首肯し得ないではない。

しかしながら、翻って、被告人が本件犯行を決意するに至ったいきさつについては、被害者Aが義弟の解雇をめぐり、被告人に対し因縁をつけて脅迫し、理不尽な金銭的な要求をしたに止まらず、被告人の命さえ奪うなどとあまりにも無法な脅しを加えたことに端を発しており、被害者らの脅迫は暴力団特有の執拗かつ陰湿な方法で行なわれ、被告人は忍従に忍従を重ねてとにかく事を穏便に計ろうと考えていたのであるが、止むことのない脅迫に耐えきれず、遂に本件犯行に及んだものであって、被害者らにもかなりの重大な落度が認められること、被告人にはこれまでさしたる前科もなく、当時相応の人数の職人を雇い左官業として健全な社会生活を営んでいたこと、被告人が本件犯行を深く反省悔悟していることなど原判決が指摘する被告人にとって有利な情状に加え、本件において被告人の側に被害者Aらの無謀を誘発したと認めるべき事情は一切なく、被告人がAとの関係を断ち切れなかったのも、同郷のよしみということもさることながら、同人が被告人の妻の経営するスナックで嫌がらせをしたり、自己の意に添わぬことがあると被告人に暴力を振るうこともあって、同人を避けようとしながらも恐れをなしていたがためであること、Aはそのほか頻繁に被告人の支払いで飲食するなど被告人に対し傍若無人な行状を取り続けていたものであって、そうしたことに対する被告人の鬱積の念が積もり重なったことが本件の遠因になっていると考えられること、被告人は、Aの義弟を解雇した件について、本件の一〇日位前からAより電話で二回にわたり「左官業をできないようにしてやる。わしをなめたらしまいに殺されるぞ」などと脅迫され、以来、悩み、深く沈んだり、逆に妻に当たり散らすなど不安な毎日を過ごしていたものであり、五代組をつぶされることは被告人にとってそれほど耐え難いものであったこと、Aは被告人に対し自己の経験や有名なやくざのリンチ事件の話をしてやくざとはそういうものだと暗示したうえ、山へ連れて行ってリンチのうえ殺すと脅迫しているのであって、この脅迫はそれまでの経緯とも相俟って一般人たる被告人にとっては極限状態に近い恐怖を抱かせるものであったろうと理解し得ること、本件後被告人の妻に対しAの遺族らから連日のごとく脅迫電話がかかり警察の保護を求めざるを得なかったばかりか、五代組は同人の遺族らの強要と脅しによってつぶされ、同人の脅迫は死後とはいえ現実のものになっており、また、被告人の妻が経営するスナックも同様にして他へ処分せざるを得なくしており、その間の事情はあまりにも執拗かつ陰惨であって、精神的にも経済的にも被告人夫婦が受けた苦痛は大きいこと、そのほか被告人の家庭状況などの事情を考慮すると、原判決の刑をそのまま是認するのは被告人にとって酷であると認められる。論旨は理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い更に判決することとし、原判決の認定した事実にその挙示する各法条(但し、刑事訴訟法一八一条一項本文を除く)を適用するほか、原審の訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官右川亮平 裁判官鈴木正義 裁判官山本哲一)

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